日進神社 ~日進餅つき踊り~ 2016.1.1

皆様、新年あけましておめでとうございます。今年も拙くテーマのない徒然なる「NAHKI Blog」をよろしくお願いいたします!
今年初めの報告は…自宅の目の前にある地元ローカルの日進神社のお参りと餅つき踊りについて写真とともに報告します。今年の抱負は後日綴りたちと思います!
餅つき踊りは、「接待餅」とも呼ばれ、かつては村内での祝い事に随時踊られたものです。
そのはじまりは、江戸時代に中山道の伝馬夫役(てんまぶやく)に出た若者達が旅の慰安と接待を兼ねて、
通行する大名や武士たちの宿で、餅をついたことがだんだん芸能化していったものだともいわれています。
現在は、毎年1月1日午後0時すぎから日進神社の境内で、この餅つき踊りが披露されます。
ふかした餅米を頭上にかかげた者を先頭にして、大ぎね・小ぎねをもった一行が木遣歌(きやりうた)を歌いながら入場し、餅米を臼にあけると、総勢音頭に合わせて餅米を練り上げます。
その後、こね取り一人と中ぎね四人が呼吸を合わせ、交代しながら餅を搗いていきます。
日進の餅つき踊りには、このように実際に餅を搗く「しんしょう搗き」
空臼を搗く「曲搗き」があり、
曲搗きには豊穣(ほうじょう)、瑞祥(ずいしょう)、大勝利(感謝)の三調子があります。
搗きあがった餅は参拝者に振る舞われ、この餅を食べると今年一年を健康に過ごせるといわれています。指定 昭和34年2月4日祭礼 1月1日さいたま市指定無形民俗文化財★日進神社当地は鴨川左岸の大宮台地に位置し、東に切敷川の低地が、西に鴨川の低地がある。中世ここは「加村(かむら)」と呼ばれ、江戸初期これが分村し「上加村(かみかむら)」「下加村(しもかむら)」となった。鎮座地は、上加村南方にあたるばかりでなく、分村前の加村中央に位置している。
境内は、明治期編纂の『郡村誌』によると、「宮の腰林」と呼ばれ、杉・松・もみなどの雑木林に覆われていた。また、境内南西側は大宮台地の崖となっており、ここからは「出居(でっこ)」と呼ばれる清冽な湧水がある。この水は、近年まで天水場である当地の貴重な水源で、上下加村五町の水田を潤して鴨川に注いでいた。
創健は、中世、武蔵一宮氷川神社の大神を勧請したことによる。当初の祭祀は、境内の湧水を源とし、五穀豊穣を祈るものであったと伝える。別当は、『風土記稿』によると、真言宗満宮寺で、当社境内内南東側にあった同寺は、明治初年になると廃寺となった。
本殿は一間社流造りである。本殿基壇石には、明治12年9月、石垣寄附連盟として押田甲左衛門ほか34名の名が刻まれている。『明細帳』によると、明治6年に村社に列せられ、同40年、日進村に鎮座する46社を合祀し、社号を氷川社から村名を冠した日進神社に改めた。祭神 素棧鳴尊(すさのおそん)埼玉県さいたま市北区日進町2-1194
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