【新撰組】柏尾のラスト血戦地

ほったらかし温泉♨️を後にして、新撰組のラスト血戦地である山梨県勝沼町の「柏尾の戦い」に行きました‼️
駐車場が無かったので、坂道に路駐してちゃっちゃっと見物に行ってきました。
甲州勝沼の戦いは、戊辰戦争における戦闘の一つであります。
柏尾の戦い、勝沼・柏尾の戦い、甲州戦争、甲州柏尾戦争とも呼ばれています。
板垣退助の軍勢と近藤勇の軍勢が戦った歴史に残る新撰組ラストな合戦であります。
新撰組は、『甲陽鎮撫隊』として、この血戦に挑みます‼️

慶応4年(1868年)3月5日、江戸より勝海舟に命ぜられた大久保剛(近藤勇)率いる幕府軍は、鳥居の前に本陣を据え、大砲を二門据え付け、宿内二ヶ所に通りを遮る柵門を設け、日川左岸の岩崎山に日野の春日隊を配した。

夜にはいたるところで篝火がたかれ、柵の警備に宿の人も駆り出されました。
3月5日に甲府城に入城した板垣退助率いる官軍は、6日甲州街道を因幡藩・諏訪藩・土佐藩の本隊が遠軍し、途中岩崎方面に土佐藩隊、菱山かわ柏尾山を越える因幡護隊の3手に分け柏尾に迫りました。
3月6日午後、最初の銃声は、等々力村と勝沼宿の境に造られた柵門で起こった。
幕府軍二人をねらって官軍が撃った銃弾は、宿人足の字兵衛を即死させてしまった。柵を破り進軍する官軍は、通りから家の裏まで見通しがきくよう、宿の家々に建具をすべて外させ、家のものは裏に隠れて動かないように命令した。このとき飛び出てしまった女性一人が撃たれてしまったという。
宿通りを進軍する官軍に対し、幕府軍は次第に後退し、柏尾の茶屋に火を放ち、柏尾橋を焼き、橋から鳥居までの坂道に木を切り倒し、官軍の進路を防いだ。
官軍は五所大神の南のダイホウインの台地に大砲を据えて、深沢の渓谷を挟んで、打ち合いが行われた。
岩崎方面では白兵戦が行われ、一進一退を繰り返していたが、官軍の3手目の因幡藩隊が山越えに成功し、深沢川の上流から幕府軍の本陣に攻め入ったため、総崩れとなり、甲州街道を江戸に向かい敗走し、1時間ほどで官軍の勝利に終わりました。
この近藤勇像について、近藤はんに似ていないイメージがあるのは私だけなのだろうか?
二刀流だったのか…?
というところにも謎が残るところですが、こういう歴史を妄想するのも楽しみの一つであります‼️
柏尾の戦いで、永倉新八・原田左之助と別れ…残った新撰組の隊は、千葉県流山市に向かいます。
過去記事に、その地に行ったレポートがあるので、合わせて読んでいただければ嬉しく思います‼️




★私のHP「風輪火斬」で函館を訪れた時の旅日記

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・異国情緒溢れる函館の旅

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