自宅から車で1時間ほどで、「紙漉き体験」ができる場所があるので、子どもの「学び」のためにお出かけしてきました!伝統的手工芸品の一つ「小川和紙」の体験ができる和紙工房があり、様々な種類の紙漉きができます。今回は、紙漉き体験記の前に…私の好きな「真田十勇士」の切絵展が開催されていたので、こちらを報告します!以前…モヤモヤさまぁ~ず2「川越」をたまたま観ていたら、私好みの切り絵作家「百鬼丸」さんが登場していて、こちらで真田十勇士の切絵を見た時にはテンションが上がりました!手塚治虫氏の「どろろ」に登場する百鬼丸から名前をとっているそうで、 イラストレーター、メカニックデザイナーである中北晃二のペンネーム。 『武者ガンダム』シリーズのデザインもしているそうです。★幻の切り絵作家・百鬼丸のホームページそれでは、本題「真田十勇士」の切絵とともに簡単に真田十勇士の登場人物の紹介をしていきます。【切絵 真田十勇士】
「ヒーローとしての真田幸村」の登場は、寛文12年(1672年)に書かれた軍記物『難波戦記』である。元禄期には小説『真田三代記』が成立し、真田昌幸・幸村・大助の三代が徳川家に対して奮戦するストーリーが人気を博した。
真田幸村この『真田三代記』において猿飛佐助と望月六郎をのぞく8人の原型が登場し、「真田もの」の講談の流行によって、真田主従は民衆のヒーローとなった。明治後期の講談から『真田三代記』にはない忍術つかいの「猿飛佐助」を生み出し、「霧隠才蔵」ら真田家の英雄豪傑の物語を膨らませていった。
猿飛佐助真田幸村に仕え、真田十勇士の第一とする甲賀流忍術つかいとして登場。同じ十勇士で伊賀忍者の霧隠才蔵は、ライバルでもある。大阪夏の陣で徳川方に敗れた跡、幸村と共に薩摩に落ちのびたという。
霧隠才蔵霧隠才蔵は、「霧隠鹿右衛門を元にした架空の忍者」とされる。伊賀忍者の頭領・百地三太夫の弟子とされている。真田十勇士では猿飛佐助に次いで人気があり、主役を務めることもある。
由利鎌之助『真田三代記』にも、由利鎌之助の名で登場する。十勇士の由利鎌之助は、「史実の彼を元にしている」という説と、「創作された架空の人物」という説がある。鎖鎌の名手。本来は真田氏と敵対していた。真田昌幸・幸村親子を繰り返し狙っていたが、幸村に捕まり、それをきっかけに家臣になったという。以後、真田親子の配下として戦闘で功績を挙げたと言われる。
根津甚八モデルについては根津小六・浅井井頼などある。水軍の指揮に長けた人物とされている。大阪の陣で真田幸村の影武者として討ち取られる。根津氏は諏訪神党に属する神氏であることから、「根津神八」とすることもある。
望月六郎望月六郎は、爆弾製造に長けていた。大坂の陣では、幸村の嫡男・大助配下となった。敵を情報で撹乱させ、さらに武力を行使して徳川方を尼ヶ崎に敗走させた。同年、大助に殉死したと言う説もあるが、実態は不明。
筧十蔵筧十蔵は火縄銃の名手。豪胆な性格だったと言われる。針などを使いこなし、大阪夏の陣で徳川方を散々に苦しめたと伝えられている。夏の陣で戦死したとされるが、実態は不明。「九州に同行した」と、兵庫の一部地域の筧家には伝わっている。真田側についた筧家は九州から兵庫に多く、家康側についた筧家は静岡や関東全域に多いとされている。
海野六郎十勇士の海野六郎のモデルとしては、他に海野小平太の名も上がっている。実在の人物とされている真田幸村の家臣である。大阪夏の陣では、幸村の命で敵軍にニセ情報を流し、大いに撹乱したという。夏の陣で戦死したとされているが、実態は不明。真田氏は東信濃小県郡の海野氏の出身とされるが、城代や家老級の豊臣に海野性を与えている。従って、海野性であっても、真田一族に連なっている保証はない。海野六郎は出雲阿国の歌舞伎踊りが好きで、ある日、それを見に行った。そして一緒に六郎が踊ったところ、その演出に幸村が感激したため、影武者役に任命したという。
穴山小助『真田三代記』によれば、「武田旧臣の穴山信君の縁戚」と言われている。実亜愛の人物と言われている一方で、実在を疑う声もある。大阪夏の陣において幸村の影武者を務め、戦死したとされる。
三好伊三入道
三好清海入道この兄弟は、『真田三代記』では出羽国亀田の領主出身の破壊僧と設定されている。三好清海入道のモデルは、大阪夏の陣において豊臣方で討死した三好政康(入道名・清海)と考えられている。政康の弟の政勝は徳川方について大阪の陣に出陣した。いずれも80代という高齢での出陣であった。
「百鬼丸」さんの『真田十勇士』の切絵はいかがでしたか?実際は、このようにガラス張りの上に縦3m・横2m程の和紙に切絵が展示されています。当ページでは、Photoshopにてトーンカーブ&レベル補正をかけて、二値画像(白黒)に加工修正しています。一部、ピンぼけ画像があり上手く加工出来なかったのでご了承くださませ。今、NHKの『真田丸』にハマっていますが…『真田十勇士』は学生時代に相当ハマりました!『負けると分っている戦い』において、最後まで忠義を尽くして徳川に挑む戦国のラスト・ヒーロー「真田幸村」。平和な時代になって軍記物などの講談で『真田十勇士』の物語が創作されたのも幸村が「負けの美学」を貫き通したからなのかもしれません。最後は、感動で泣いてしまうほどの物語なのです。私は武将イラストが好きなのですが…「百鬼丸」さんの切絵の表現が素晴らしく自分のツボにハマりました!単行本などでよく見る切絵の表紙は百鬼丸さんの装丁によるもので、今まで見過ごしていました。ひょんなところから、こうした美術作品と美術家「百鬼丸」さんの出逢いに感激しました。武田信玄をはじめとする戦国武将の作品が数多くあります!次回は、本来の目的「紙漉き体験」を報告します!
埼玉伝統工芸会館(道の駅おがわまち)(←サイトにリンクしています)
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