2014年4月26日 深夜0時20分に、群馬県民のみならず、驚きの出来事がありました❗️
「富岡製糸場と絹産業遺産群」が、世界文化遺産に登録するよう勧告されました。2014年4月現在、日本には、17ヶ所の世界遺産がありますが、近代産業遺産では国内初となります❗️上毛新聞では号外が発行されました
富岡製糸場 看板
東繭倉庫ガイダンス展示・売店があります。
生糸の品質向上と増産を図るため、1872年(明治5年)に明治政府が設立した官営の機械製糸工場。1987年に操業を停止するまで、115年にわたり製糸工場として稼働した。
場内案内看板
ノスタルジックな工場内柱
哀愁漂う扉
西繭倉庫
乾燥場
煙突高い煙突が設けられたのは、燃焼効率を高めるとともに石炭を燃やす際に発生する煤煙対策のためでした。
郷愁を誘う竹林
味わい深い休憩所
建物はフランス人技師、ポール・ブリュナの指導のもと、木の骨組みとれんが壁による「木骨煉瓦造」が用いられた。
多くの女工が障ったであろう木骨柱
操糸工場女工の労働時間は1日約8時間で、週休1日のほか夏冬に各10日間の休暇があり、食費や寮費などは製糸場が負担していたという。
トラス(工場内)1872(明治5)年に設立された富岡製糸場の敷地面積は約5・5ヘクタール。約120の建物があり、糸をより合わせて生糸を生産する「繰糸工場」は縦140メートル、横12メートル、高さ12メートルで、骨組みは木製、壁はレンガ、屋根は瓦という和洋折衷のユニークな建築様式。300人の女子工員が一斉に糸を繰り、創業当時は世界最大の繰糸場だった。
トラスとは、建材を三角形に組み合わせたつくりのこと。これにより屋根を支える骨組みを作ると、梁を支える柱がいらないため、工場内は広い空間が使えた。
格段の生産能力当時の欧州の器械製糸工場でも50~150台が普通のところ、300台所有していた。
工場には蒸気機関やフランス式操糸機などの西欧技術が導入され、各地から集まった工女たちが機械製糸技術を習得し、その技術は全国に広まった。
工女 寄宿舎工女は、15歳から30歳くらいが多く採用され、なかには11歳や62歳の工女がいたと記録に残っている。
近代日本の黎明期において、明治政府の掲げた「富国強兵・殖産興業」の一翼を担うべく富岡製糸場が誕生しました。西欧技術と日本独自の工法が融合してできた世界最大規模の製糸工場としては、近代日本を象徴する建造物として、百数十年の時を経て圧倒的な存在感を魅了します。
電灯が無いため、窓は明かりを取り入れるためガラス張りになっている。現在でも一部115年前の手作りガラスが現存する。手作業のため、ガラスは波うっている。
創業当時の富岡製糸場富岡製糸場〒370-2316 群馬県富岡市富岡1−1http://goo.gl/maps/aHwgJ
NAHKI Blog
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